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惨劇への遍路。
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『不本意ながら、そう呼ばれることもあるな』
肩を竦めておどけた口調で語る青年の表情は、まるで相手を小馬鹿にしているかのようだった。
だがシアマーと名乗ったオークの女性は、青年のその態度を予想通りと言わんばかり続ける。
「噂通り不埒な男なようだな。だが構わん」
シアマーは壁に預けていた身を直し、周囲を窺うかのよう幾度か視線を泳がせた後、
「場所を変えたい。ついてきてくれるか?」
と、尋ねた。
青年は相変わらず頬を緩ませたままだ。
『ああ、いいぜ。聞くだけ聞こうじゃないか。……もちろん二人っきりで、だろ?』
相手の神経を逆撫でするかの如く、挑発的な言葉だったが、シアマーは意に介する様子は無かった。
――――
陽は傾き、所変わって。
オルシニウム王国の、とある宿屋の一室。
宿屋と言うにはあまりに粗末で、寝具すらも無いそこは、単なる空部屋と表すほうが正しいのかも知れない。
石造りの狭い一室、窓際にはシアマー。
青年は壁に身を預けて寝転がっていた。
「……『ブレイブファング団』、と言う悪漢どもを知っているか?」
『名前だけはギルドで聞いた事があるぜ』
互いに顔も合わせずに、言葉を交わす。
「オルシニウムに巣食う蛆虫だ。強盗、殺人、略奪、暴行、何でもするクズ連中さ」
『賊連中ならそりゃあそうだろうな。よくある話だ』
「……首狩りよ。私がお前に依頼したい事は奴等の一掃だ」
『随分な大仕事だなぁ。俺個人じゃなくてギルドに持ち掛けたらどうだ?』
「………」
『内容に見合うだけの報酬が用意出来ない、ってところか。だったら戦士ギルドの方に声掛けてみたらどうだ?』
「……腰抜けのあいつ等が耳を傾けると思うか?」
『無理だろうな』
「解りきっている事を言うな」
会話は唐突に終わり、しばし沈黙。
シアマーは振り返ると、青年の側へと歩み寄り、膝をつく。
「頼む、首狩りよ。どうしても奴等を一掃したいんだ。だから私と一緒に戦ってくれないか?」
青年は変わらず、正面を見据えたままだった。
『……あんたが、その連中に固執する理由は聞かねえけどよ』
眉をしかめ、そのまま言葉を続ける。
『俺に話を持ち掛けた理由ぐれえは説明してくれてもいいだろ?』
シアマーは「もっともだ」と言わんばかりに頷いて返す。
「理由は三つ。一つは、お前の腕を買ってのこと……。二つ、先ほどお前が指摘した通り、持ち合わせが少ないこともある」
青年は小さな点頭を一つ。
「三つ、私は『デザートゴブリン』について、知っている」
緩んだ青年の顔つきが、きつく引き締まった。
「……つまり、報酬はそれと言う事だ」
シアマーの口調は淡々としていたが、声音には僅かに勝機を握ったと感じさせるかのようなものが混じる。
『……なるほど』
青年は立ち上がると、窓の方へと足を向ける。
「引き受けてくれるな?」
シアマーの言葉は既に『目上』のものだった。
青年にとって、シアマーが本当にデザートゴブリンの情報を知っているのかと言う保障は無い。
確証も何も無い、はったりの可能性もある。
だが―――
『そりゃあ確かに……たまらねぇ報酬だぜ』
―――唇の端を吊り上げたまま、シアマーの方を振り返る。
それは依頼の承諾を意味する言葉であった。
――――――――
翌朝。
オルシニウム王国の正門から出てすぐの街道にて、シアマーは経路について述べる。
「奴等のアジトは、ここから南だ。長く危険な道のりになるが、馬で行けば陽が一番高い時間には着くだろう」
『徒歩なら?』
「空が赤らむ頃合だろうな」
『じゃあ馬は要らねえ』
青年の言葉に、怪訝の瞳を示すシアマー。
「……遠いぞ?」
その言葉を無視し、青年は街道を進み始めた。
「お、おい! ま、待て! 勝手に行くな!」
シアマーは慌てて青年の後を追いかけ、横に並ぶ。
「正気か、お前。合間に山がいくつもあるんだぞ? それに道中には危険なモンスターどもも存在する」
その言葉に青年は、口元に薄い笑みを浮かべながら返した。
『馬借りるのにも金はかかるし、陽が暮れる頃に着けるんだったら襲撃に丁度良いだろ?』
物怖じせぬ青年の様子に、シアマーは大きな溜息を一つ吐いた。
―――――――
オルシニウム王国から出発し、陽も段々と高くなってきている。
二人は道なき道を進む。
剥き出しになった岩と岩、その間の道を進んだ先のなだらかな斜面に、怪奇な物の姿が一つあった。
「オーガだ」
青と白の調和が生み出す不気味な色あいの肌は、ざらざらしているかのような質感。
大きく盛り上がった僧帽筋は後頭部を飲み込んで一体化し、肩と頭の繋ぎ目が無いほどに発達している。
小さな目に、削ぎ落とされかのような鼻、裂いたかのように大きな口には貪欲そうな牙のごとき歯を覗かせていた。
食人鬼の荒く猛々しい呼吸音が、離れた二人の位置にまで聞こえるが、それは明らかに飢えている様相であった。
「あいつを振り切るのは困難だぞ。だから馬を用意しようと言ったんだ」
シアマーの頬に、冷や汗が伝う。
青年は自身の武器である大鎌を取り出すや否や、
『そこで見てろ』
と呟く。
「なに?」
言葉の意味も理解できず呆気にとられるがまま―――
だんっ。
と、勢い良く地を蹴る音が、辺りに響いた。
一本の矢が放たれた。
そう表す他は無かった。
鈍い音が聞こえたが同時、すぐさま重たい物体が地面に叩きつけられた音が地に響く。
オーガが立っていた場所には、大鎌を振るった後の青年の姿。
その少し先に転がるのは、絶命したオーガの無残な姿。
青年は大鎌に付いた血を振るって払うと、仕舞いこむ。
『行くぜ』
シアマーの方へ振り返って一言そう告げ、歩を進めた。
――――
休憩も挟まずに二人は渓谷を進む。
陽は頂点を過ぎ、少しずつ下がり始めているがペースとしては順調。
傾斜は緩急を繰り返し、シアマーは都度安全を確認しながら進むが青年は一向に構わぬ様子で進む。
そして一際急な昇りの斜面を越えた先、そまるで番人でも担っているかのように一匹の獣が待ち構えていた。
「アンガラント……どうやらヤツの縄張りらしい」
オルシニウムには凶暴な肉食性を持つ生物が多い。
食人鬼の別名を持つオーガ、そして掃除屋と異名を持つアンガラント。
前足に備える長大な爪は、触れようものならば皮膚を易々と切り裂き、その小さな顔からは想像もつかないほどの強靭なる顎の力。
噛まれたら最後、その部分を削ぎ落としてでもしない限り逃げる事は不可能。
ゴキンッ。
弾ける頭、舞う血飛沫。
振り下ろされた刃が、獣の頭蓋を叩き割った音だ。
シアマーの逡巡など露知らず、一気に距離を詰めての一撃。
無残に頭を叩き割られた獣の躯(むくろ)が転がる斜面を滑るように落ちて行くのを見守るまでもなく、
『あと少しだろ。さっさと行こうぜ』
と、青年は後方に立つシアマーに言葉を掛けた。
――――
渓谷や獣道を進み続け、かなりの時間が経過した。
出発当時、昇ったばかりだった陽はもう一時間もすれば空を緋色に染めるであろう。
二人は相変わらず、休憩を挟まずそして会話を交わすこともなく歩き続けた。
やがてその険しい道のりは途切れ、辺りには緑が茂り始める。
石畳の敷かれた街道らしきものが目に飛び込んできた時、二人は身を屈める。
そして――――
「あそこだ」
シアマーは声を潜めながら語りかける。
『見張りが一人だけたぁ、な』
青年はその先に見える光景を一瞥しながら呟く。
「あれは見張りなどではない。通行料をせびる係の者だ」
街道に添うかのような岩場に背を預けて立ち尽くすオークが一人。
この街道は王国の兵士達も使用しないために、堂々と其処に居られるのだろうか。
「山に添って作られた小さな集落のようなアジト、あれがブレイブファング団の根城だ」
シアマーは奥歯を強く噛み、逸る気持ちを抑えているかのような声音で語る。
「以前よりも大きく展開している。この辺を取り仕切るのは自分達だと言わんばかりだ」
『ふぅん……。ざっと十人ちょいってところか?』
青年が素っ気無い様子で尋ねると、
「恐らく、な。だが単なる悪漢と思っていると、痛い目に遭うぞ」
『大差ねえよ』
まるで恐れを知らぬ物言いをする隣の青年を、シアマーは思わず強い視線で睨む。
「お前は……!」
『辺りが夕陽で赤く染まる頃に行くぜ』
怪訝な様子など歯牙にも掛けぬ一方的な言葉。
これ以上の問答は無意味と察したのか、シアマーは青年の驕傲な態度を飲み込んだ。
「……解った。だが一つ頼みがある」
『なんだよ』
「奴等のボスは……私に殺らせてくれ」
『了解、依頼主様』
――――――
夕陽が赤い彩りを見せ、周囲を緋色に染め上げる時間。
この空模様から一刻もしない内に、夜の帳が降りる。
カジート以外の種族にとっては、最も視力を奪われる時間。
青年が身を潜めるのを止めると、シアマーも同様に立ち上がった。
『それじゃあ始めるぜ』
「あ、ああ……本当に正面から行くのか?」
大鎌を二挺、握り締めて見据えるは、見張りのオーク。
そして、まるで一本の矢が放たれたかの如く――――
先程聞いたものと同じ音。
地を蹴る、轟音。
地響きにも似たそれを感じた時には、既に遅い。
街道を見張るオークは己の視界に掠める何かを追って顔を動かした。
それを瞳に捕らえたのは、本当に一瞬。
そのせつな、状況を理解する事は不可能だろう。
迫り来るものが人間である事を理解したその時には―――
―――そのオークは既に、惨殺された、ただの肉塊。
「今のは何の音だッ!!」
異音に気付いたブレイブファング団の者達の声が、アジトの方から聞こえる。
青年は身を屈め両脚に膂力を宿しながら―――
不敵に、笑っていた。
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