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憎悪に駆られて幾星霜。
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ひび割れた谷の肌が浴びる風は、どこまでも乾いている。
黄金色の小さな粒は辺り一面に敷き詰められ、まるで海のように広大だった。
降り注ぐ太陽は、ここに生きる全ての者達に平等に輝いてくれる。
そう、まるで嘲笑うかのように。
過酷。
この国を言い表すならば、まさにその一言だった。
そしてそんな過酷な環境であるにも関わらず人間は助け合う事よりも、なお争わずにはいられない。
闘争こそが自然の摂理と言えばそこまでなのかも知れないが、この環境下にあっては闘争に生き延びた先にも安寧が約束される訳ではない。
自然そのものこそが、もっとも強大な敵であり、そして味方でもあるから。
――――――――
青年は、戦場を駆け抜けた。
己の仇である者が所属する国と敵対する勢力に身を置き、ひたすらに。
戦に身を投じるのは本懐では無かった。
だがデザートゴブリンこと『バーレン』が大規模な傭兵団として国家に帰属している以上は迂闊に手を出すのは危険だ、と言うシアマーからの忠言があっての事だった。
合法的に相手の傭兵団の数を減らしていけば、バーレンは何かしらの行動を起こすだろうとの読みで。
青年は『首狩り』として、再び数多の戦場を辻風の如く駆け抜けた。
オークの女を相棒として携えて。
『首狩り』が戦場に再来した事に、相手国は驚きを隠せなかったと言う。
戦場と言うものは、確かに戦力の数が絶対。
兵が多ければ多いほど強くなると言うのは、誰でも解る事だ。
しかし、戦力が多いと言う事にも欠点はある。
感情の伝播と言う、集団であるが故のものだ。
兵士……、特に傭兵の大多数は戦場に求めるものは『金』であるが、それ以上に求めるものは生き延びる事。
勝ち目の無いと判断できるような戦には挑みたくないのである。
『首狩り』と同じ戦場に立ち、向かい合う事は正に死を意味した。
死と言う恐怖の感情が一気に膨れあがり、兵士達に拡散されたならば、もう戦力は半分以下になったと思っても良い。
戦場では及び腰となった時点で、もう既に死んだも同然。
対峙した時点で敗北を想像してしまっているのだから。
『首狩り』の行動は留まる事を知らなかった。
それはとある町での話。
かつては『首狩り』が身を置いている国が治めていた町だったのだが、長引く戦による兵力差によって敵国に奪われ、拠点と化していた場。
そこには兵士と、とある大規模な傭兵団が座しており、戦場への中継地として重要な位置にあった。
―――ある夜の事。
風もなく、空には満点の星が見え、伴って銀河も煌めく。
兵士や傭兵達はいつもと変わり無く巡回をし、時折空を眺めながら酒を嗜む。
そんな静かな夜だった。
いつもは存在しない一つの影が、そこにあった。
そして、それは音も無く弾み―――舞い降りる。
その影には、誰も気付かなかった。
静かに、静かに。
それでいて大胆に。
それは行われていった。
一人、また一人。
着々と減らされていく。
誰もが予想しなかった事だった。
豪速の刃が首を刈り取る。
まるで農作物のように……実ったトマトを収穫するかのように手軽に易々と行われていた。
異変に気が付いた時にはもう手遅れだった。
音も無く迫る死に、恐怖に取り付かれた集団は逃げ回るだけ。
勇敢にも応戦しようものならば、瞬時に首が跳ねる。
背を向けようものならば、瞬時に首が跳ねられる。
一流の料理人が手際よく料理を並べていくかのように、手際よく死体が重ねられていく。
五感を生かし、確かな腕で調理するかの如く。
そして細かい部分も見逃さない。
塩の一粒でも多くならないよう分量に気を配るかのように―――
徹底していた。
―――『一人で夜襲を掛ける』……そんな戯言をほざいた若造。
明日には砂漠のどこかに見るも無残な死体が転がっている。
兵達や他の傭兵はそう考えていた。
しかし『首狩り』ならもしや、と淡い期待を抱いていた者も居たらしい。
淡い期待と敵地に行く緊張感を抱いた者達が見たものは……。
積み上げられた夥しい数の敵兵の亡骸に立つ、青年であった。
――――――――――
所変わり、ハンマーフェルのとある国の街。
青年とシアマーが個の傭兵として身を置く国。
「やりすぎだぞ」
シアマーの声音は半ば呆れた様子だった。
『いいじゃねえか、別に』
酒を煽りながら青年はぶっきらぼうに返す。
「け、喧嘩は止めてくれよ?」
酒場のカウンターに背を預ける二人に、腰が引けた様子で声を掛けるのは、酒場のマスター。
「戦場の熱風に中てられたのは解るが、このままでは味方陣営からも疎まれるぞ。切れ味の良すぎる剣は皆から嫌われるものだ」
シアマーは腕を組みながら、己の抱いた杞憂を告げる。
『そいつは結構なこった。目的が済めば大手を振って廃業できるってもんだろうよ』
青年は鼻で笑いながら答えた。
悪びれない青年の態度を見て、シアマーは「やれやれ」と溜息をつく。
もうこれ以上は何を言っても無駄だと観念したようだった。
二人は酒場を後にし、入り口からすぐ側にある掲示板の前にて足を止める。
ここに貼られた文書には最近の戦の状勢や、尋ね人の報せ、仕事の依頼と何でも貼り出されている。
この街の住人達にとっては戦況の動向を知る事の出来る唯一の場であるため、もっとも人目につく場所だ。
そのため、戦場以外での傭兵の雇用を募る場合もある。
例えば、隊商の護衛。
例えば、隣街までの道のりの護衛。
要人の護衛、など。
『戦況はこちらが圧倒的に優勢、今こそ一気呵成に攻める時である。だってよ』
「こちらの軍勢が白星続きだからな」
『……まさか黒牙団の連中、忠誠心が芽生えてよもや国と心中するなんて事はねえよな?』
「所詮は野盗あがりの傭兵団だ、それは無いだろう」
はぁ、と青年はわざとらしく溜息をつきながら肩を竦める。
『……奴の所の団員も相当減っただろうし、そろそろ国を捨てる頃合だとは思うんだがよ』
「場合によってはヤツはまた名前を変えるかも知れん。今が正念場かもな」
今度は青年が『やれやれ』と呟いた。
―――――
掲示板に一通り目を通した二人は、身を寄せている宿に戻っていた。
部屋のベッドの上に座る青年は、茹だっているかのように見える。
シアマーはそんな青年の様子に慣れているのか、気に掛ける事もなく喉の渇きを潤していた。
『あぁイラつくぜ』
恨み言のような声音でぽつりと呟く青年。
「解らなくもない。私もかつては復讐の焦燥に窶した身だからな」
『刺し違えても良いって思えてくるぜ、マジでよ』
「戦いの鐘が鳴りっ放しで辛いのは解るが、まぁそう腐るな」
『これでもしもヤツが姿をくらまして行方が解らなくなっちまった、とか言う結果になったら最悪だぜ……』
身体を前後に揺らしながら、不貞腐れる子供のように落ち着かない青年の様子を見て、シアマーは思わず窃笑を浮かべる。
「その時はまたヤツを捜せばいい。私も一緒に手伝ってやるさ」
いつものシアマーとは違う、僅かに上擦った声だったが青年は、
『……なんだよ、妙に優しいじゃねえか。なんか裏があんのか?』
と、訝しげに聞き返した。
「……今の言葉は取り消す」
普段の口調と声音に戻ったシアマーに青年は尚も続ける。
『やっぱ裏があったのか』
勝ち誇ったかのような青年の物言いに、シアマーは溜息をつきながら、
「お前はもう少し、人の心の機微を感じ取れるようになれ」
と、吐き捨てるように言った。
わけわかんねぇ、と青年は呟き返す。
その時、コンコン、と扉が鳴る。
外からのノック、それも遠慮しがちなものだった。
「誰だ」
シアマーが緊張を交えし張り詰めた声で返す。
すると、
「恐れ入ります、こちらの部屋に『首狩り』殿がおられると聞きましたが」
扉の先から聞こえてきたのは、何とも判断に困る微妙な音域の声音だった。
男とも女とも取れるような声であったが、ただ一つ言えるのは、訪問者はかなり幼いと言う事。
シアマーの視線が青年へと注がれる。
青年が頷いて返すとシアマーは、
「入れ」
と、訪問者に入室するよう促した。
「はい、失礼致します」
木製の扉が軋みながら、開く。
「突然の来訪、無礼であるにも関わらず入室を許可して頂き、ありがとうございます」
来訪者が部屋に入ってきて、二人は先ず驚いた。
まだ少年とも受け取れる年齢。
そしてもう一つは、身に纏った特異な衣服。
この辺りでは見ない服装であったが美麗な装飾や色使いからして、およそ一般人とは言い難い存在なのだろう。
少年の立居振る舞いや声音からして、敵意に属するような負の感情は一切感じられない。
二人ともその点だけは、即座に理解した。
「お初にお目に掛かられます、『首狩り』殿、シアマー殿。ご機嫌麗しゅう」
己の胸に手を当て、恭しいまでの言葉とお辞儀。
慣れない敬称に多少のいらつきを覚えながらも、青年は少年を見つめる。
『ご機嫌だとかはどうでも良いから、とりあえず名乗れ。あと刺客じゃねえならマスクは外せよ』
棘の含んだ言い回しに、少年は慌てふためきながら口元を覆っていたマスクを外す。
「それで、少年。私達に何の用だ?」
居直る少年に横槍を入れるのは、シアマー。
「も、申し訳ありません。ええと、ぼく、いや私は『アヴァ』と言います。とある貴族に仕える若輩者であります」
アヴァ、と名乗った少年の使い慣れぬであろう口調は、たどたどしい。
「首狩り殿。私は貴方に依頼を申し込みにきたのです」
『依頼?』
青年は怪訝な瞳でアヴァを見つめる。
一瞬たじろぐ様子を見せるものの、負けじと視線を返してきた。
「はい。私は御家のお嬢様の観光の護衛としてお供していたのですが……」
「この時勢にこの場所とはな。怖いもの知らずとはこの事か」
シアマーは腕を組んで、溜息を一つ。
「砂漠の道中、私が僅かに目を離した隙に、お嬢様がとある悪漢達に攫われてしまいまして……」
口元をまごつかせながら、恥入る様子で打ち明ける。
「悪漢達は今日中に身代金を用意し、奴等の指定した場所まで来るよう私に伝えました」
『今日中に身代金を用意出来なければ、お嬢様の命は無い、ってところか。そりゃ大変だな、同情するぜ』
青年も大きく溜息を溢した。
「……申し込みたい依頼とは、もちろんお嬢様の奪還です。例え身代金を渡したところでお嬢様が生きて帰られる保障は無いのですから」
「まぁ、人攫いの基本だな。金を受け取ったら人質と一緒に金を渡しに来た者も殺す。後腐れが無い。そしてこの国の兵士達も当てにはできない……。戦火の最中、野盗による人攫いなど日常茶飯事でいちいち構ってられん」
シアマーは眉を顰めながら、アヴァに説明するかのように呟く。
「仰る通りです」
『それで傭兵に当たってる訳か。まあ『本職』以外の部分での小遣いが欲しい連中は幾らでも居るしな』
アヴァは頷きながら続ける。
「他の傭兵の方々にも声を掛けましたが……、お嬢様を攫った悪漢の一人が『バーレン』と名乗った事を説明すると、断られました。どうやら悪名高い男のようでして、何しろ黒」
『それを早く言え!』
青年のそれは、空気が振動するほどの大声だった。
――――――――
三人は黄金色の絨毯の上を進む。
アヴァが先導し、それに続く形だ。
「それにしても、話は本当だったんですね」
『何の話だ?』
アヴァは顔だけ後方に向けながら、青年へと話し掛ける。
「バーレンと言う悪漢の件だと知れば、首狩り殿は有無を言わずに仕事を引き受けてくるだろう、って酒場の主人から聞いたものでして」
『……』
「その物言いは、こいつを付けこんでいるように受け止め兼ねんぞ」
口を尖らせ噤んだ青年に代わって、シアマーが言葉を返す。
「……申し訳ありません」
『謝る必要は無いぜ。ヤツに会えるんだったら何でも良いからな』
声のトーンを落として詫びるアヴァに対し、青年は僅かに庇護の情を交えて答えた。
三人が砂漠を進み始めたときに頂点に座していた太陽も、傾き始めている。
「あそこです」
アヴァが示したその傾斜の先には、古くから存在するであろう遺跡の門が構えられている。
乾いた岩山に囲まれ谷となったその場所からは、生命の匂いと言ったものがまるで感じられなかった
大体こういった遺跡やら廃墟やらには野盗達が根城にするものなのだが、街からも離れている上に近辺には水場も存在しない。
過去、遺跡が神殿として機能していた頃には、井戸やらオアシスやらが有ったのかも知れないが、今となっては人間が滞在するには、とても不便な場所だろう。
さらさらとして滑る傾斜に足を取られながらも進み、そして三人は門の所まで辿り着いた。
すると青年が大鎌を取り出し、
『ここからは俺一人で行く』
と、呟いた。
「え……い、いや、しかし悪漢達は何人居るか私にも解らな……」
アヴァはそれ以上の言葉を続けられなかった。
青年の背中から伝わる、奇妙な匂いに気が付いたからだった。
立ち上る、とも言えるそれは、高揚から来るものか何なのか。
有無を言わせぬ圧迫感のようなものを漂わせ、冷たくも熱い『何か』を周囲に感じさせた。
「……気を付けてな」
シアマーは青年の背中にただ一言、投げる。
『ああ』
青年は、簡素な言葉で返した。
――――――
耳の奥から響くのは、心臓の鼓動。
緊張感、高揚感、そして、
愉悦。
待ち望んでいた時が、もう目の前にあるのだ。
結局、戦場でデザートゴブリンことバーレンには出会えなかった。
大規模な傭兵団の長ともなれば、指揮を取るために後方に下がっているのが普通だろう。
そのお陰で、黒牙団との交戦があっても、遠巻きにしかバーレンの存在を確認できなかった。
そして撤退もまた早い。
ヤツは戦況を見極める能力に長けているのだろう。
そういう意味では有能な団長であり指揮官だ。
自身の傭兵団の人員も減り、帰属している国も危うい。
それならば一旦、団は解散なりしておいて、また野盗に身を落とせば良い。
傭兵と言うのは四肢が欠損でもしない限り、潰しが効く職業だ。
「元傭兵」と言う肩書きなんて、この世には溢れている。
同様に「元野盗」と言うのも。
生きている限り、元傭兵は野盗になったり、元野盗が傭兵になったり。
そう、生きている限り、続く。
一度暴力で金銭を得た人間が、畑を耕す農民になったり、肉を売る商売人になったりする事など、滅多に無い。
堅気として生きていくには「元」と言う部分の血生臭さがあまりにも濃厚で密接すぎる。
血を浴び、肉を切り、髄を断つと言う日々が、切っても切れないものになってしまっているのだから。
青年はそれを理解していた。
己とてそれに変わりは無い。
それでも尚、歩みを止めない。
止められない。
「お願いです、この事は誰にも言いません。どうか私を解放して下さい」
つぶらな瞳がサファイアのように煌めき、そしてうっすら滲んだ涙に揺れる。
美しい毛並みを持ち、絹のように柔らかい髪の毛は肩から垂れ下がり、蜂蜜のように艶やかに輝いている。
頬や腕など全ての部分にさらりとした毛を携えた少女は、カジートだ。
「いーや、ダメだ。覚えておきな、お嬢ちゃん。いかにも金持ちですって風体で歩くのはこういうことなんだって事をな」
くくく、と喉の奥で笑う男。
濁った瞳と野卑に満ちた声は、どんな聖人が見ても「悪人」だと感じるだろう。
ああ、と己の身を嘆くカジートの少女。
少女が憂う様を見て、男はさぞや愉快と言った表情を浮かべた。
『バァァーーーレーーーーンッ!!!』
もはや「轟音」と言うべき、声。
まるで投石器で投げられた岩が、堅牢な城砦にぶつかった時のように、けたたましい。
乾いた谷の岩肌を、遺跡の石壁を、そして空気を振動させた。
「……なんだぁ?」
青年は、両手を大きく広げた。
まるで、生き別れた兄弟が再会を喜び抱擁を交わそうとしているかの如く。
『会いたかったぜ』
それは奇妙な熱の篭もった、妖艶とも言える声だった。
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