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 二章 【遠き地に響く咆哮】
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陽は傾き、夕暮れの時はもう既に過ぎている青黒い空。
うっすらと赤みを帯びた雲が、太陽の残滓を感じさせる。
星も瞬き始める
間もなく、夜が来る。
空に星が瞬き、そして人は大胆になれる時間となろう。

頬を撫でる冷たい風が、昂ぶった男の精神をほんの僅かに和らげる。
高き地
敵の気配は、感じられない。
それでも男は剣は収めず、ひた進む。
そして、先程下から見上げたときにも見えた、不思議な光の柱。
祭壇
長い階段の先にあるであろうそれは、そこだけが特別な意味を持つ場所であると言うのを、一目で理解できた。
かつての男であれば、ともすると畏敬の念に囚われて地に膝を付いたかもしれない。
しかし―――今は、そういう情緒のようなもので胸を埋めている状況ではない。

光の柱
階段を駆け抜け、祭壇のような場に出る。
大きくひらけたその場所は正に、神聖なる何かを備えし場所なのだろう。
退廃せし遺跡に於かれても、その荘厳さは失われていなかった。
口を開けている
―――男は、ゆっくりとそこへ近付く。

異質。
円形に作られた奇妙な何か。
そこから溢れる、また『何か』。
男の心に沸き出るのは、僅かながらの恐怖だった。
僅かなる
未知を恐れる心と、威風を感じさせるその光の柱に対しての畏れ。

―――ここの遺跡の最上部からアルドゥインが塒(ねぐら)としている『ソブンガルデ』に行ける―――

オダハヴィーングの語った言葉の通りならば、ここがまさにその入り口。

 ―――今更、何を恐れるのだ。もう覚悟は決めてあるはずだろう―――

男は胸の内で自問自答を一つ行なうと、姿勢を正す。
そして、いざその光の柱へと身を投げ込もうと下肢に膂力を宿した、その瞬間。


―――あれが新たなドラゴンボーンか?―――
―――いいや、違う。あの魂の匂いはそうではない―――
―――何故だ、何故スクルダフンに?―――
轟き、響く
雷鳴にも似たそれが、空より聞こえてきた。
一陣の轟風が駆け抜ける。
そしてそれに倣うかのように同じくらいの強さの烈風が、地を舐めた。
空を覆う複数の翼。
嘲りながら
 「あれは……定命の者だと!?」
 「あの者の武具から感じる魔力の波動……知っているぞ、忌まわしい!」
 「何故だ、竜の息吹を感じる。何故?」
 「歪だ。あれは、歪なるぞ」
疑問、怒号、様々に綯い混ぜたそれが、響き渡る。
それらの中に織り込まれし、肉体を威圧するほどの―――

明確な、殺意。

 「何者でも構わん、スクルダフンにて滅せよ!」
集う
天空より降り注いだのは、閃光を身に纏ったドラゴンからの、一筋の雷光。
男は身を翻して駆け、雷竜よりの声を紙一重で避ける。
 「これは歪んだ器。これは定命の者の性(さが)か?」
様相を窺うかのようにその広場に降り立った、青白き鱗のドラゴンはその牙を唸らせる。
地響きに脚を捕らわれそうになるのを堪え、その牙の餌食にならぬよう身を反り逃れた。
そしてその刹那、入れ替わるようにして降り立った赤い鱗のドラゴン。
猛攻
 「憎々しいぞ、貴様の波動!」
言葉に混ぜられたそれが、力となりて顕現。
赤い鱗のドラゴンはその見た目通り、烈火の如き声を放つ。
 『ぐッ!』
流石はアリア・セレールによる魔法の鎧、と言うべきか。
猛き炎に包まれ様とも、男は骨になる事はなく。
炎に包まれ
その強き熱によって、身を悶えさせるだけ。
五体は満足に在る。
 「なんと、我等が声を耐え得るか。脆弱な肉体のものがなんと小賢しきかな」
白き鱗に身を包んだドラゴンがその嘲りと共に、痛烈とも言えるほどの冷気を放つ。
男は剣を振るい、その剣に宿った炎で冷気を弾くも―――
なお衰えず
急激な熱気と冷気を浴びたその肉体は、悲壮なまでに軋む。
それは錆ついた歯車のようにギシギシと。
熱さは痛みに。
寒さも痛みに。
常人の闘争心を削ぐには充分過ぎるほどの、痛みだった。

……しかし。

男は退かない。
まばゆい閃光が空を彩ろうとも。
激しい烈火が舞おうとも。
凄まじい凍気が巻き起ころうとも。
それどころか―――
闘志に応え
 『舐めるなッ!』

襲い来るものが激しければ激しいほど、男の心は燃え上がった。
その身に宿した竜の力がそうさせたのか。
それとも男が元々備えていた意地や反骨心か。
はたまた、己の抱いた覚悟に対する気骨か。

少なくとも、ドラゴンとの対峙によって男の闘志が揺らぐ事はなかった。
ドラゴンからの激しい攻撃にたじろぐ事はなかった。

―――魔法の武具と、竜の力が呼応する。
揺れ
それを奇異に思ったのは、ドラゴン達のほうだった。
 「これは、それは……?」
血の如く真紅に染まった男の眼光に、一瞬だが気圧された。
そして、それによってドラゴン達は気付いた。
牙
今、眼前に立つ男は、ただの定命の者ではないと。
 「牙だと……!?」
 「この力の波動、よもや……まさか?」

剣が、歪な形へと変化する。
ともすれば牙のような。
ドラゴンの顎に備わるかのような、鋭く、そしてしなやかで強かだった。

そして、その牙が、舞う。
喰らい付く
 「そうか、赤き瞳……そうか……」
まるでそうあるかのように、首元へ。
青白き鱗を持ったドラゴンは、合点がいったかのような呟き。
その言葉が全て放たれる前に鱗が炎に包まれ、その血肉は炎上した。
激刃
 「なんと、牙無き者が牙を得た?」
 「翼無き者が我等を屠るか!?」
ドラゴン達に走るのは、緊張。
喰らい、潰し、屠るのはドラゴンの宿命。
それらを行使すべき『下』の存在である人間が、こうも容易くドラゴンの肉体を滅ぼした。
 「き、貴様!」
次々と
烈火の『声』を浴びながらも尚、突撃してくる。
そして『牙』をその身に喰い込まされる。
 「おお、まさか……その赤き瞳、かつての……!」
赤き鱗を備えたドラゴンもまた、その全ての言葉を発する前に息絶える。
 「まさかそのような事は無かろう!」
雷竜の咆哮が、轟く。
怒号とも言えるそれは、夜闇に包まれた周囲を眩しく、そして明るく彩った。
 「しかしこの瞳、まさに主と酷似。よもや……」
屠る
白き鱗のドラゴンが呟く最中……激しく速く重い牙が、その脳天へと吸い込まれてゆく。
 「この、有り得ぬ、猛き力……!」
悶え、苦しみながら、その鱗が炎に包まれた。
そして灰燼へ
 「懐かしき、かつての……野心……大君主……ざん、こ……」
他のドラゴンと同様、赤き鱗の者達は全容を話せぬまま灰燼へと帰した。
 「おのれ……!」
雷竜の放った怨嗟の声と共に放たれるは閃光の声。
されどもそれは既に男には効かず。
声が通らぬならば、牙と牙に寄る鬩ぎ合いが残るだけであった。
雷竜、対峙
 「その力、紛うかたなしに竜……貴様、何者だ!」
男の『牙』とドラゴンの牙がぶつかり合い、禍々しく激しい音色を奏でる。
迫る牙、巨大な顎、それらに臆する所か、一層の闘志を宿して対峙する。
更に男から感じる奇妙な感覚。
ドラゴンにとって、それらは恐怖でしかなかった。
そしてその恐怖と言う感情を知らぬドラゴン族にとって、それは大きな戸惑いを生む。
 『ただの……人間だ!』
雷竜、退治
咆哮。
それは男のものを指すのか、ドラゴンのものを指すのか。
黒き影が、その牙をドラゴンの喉元に突き立てる。
自然治癒をさせぬ生態の王者による牙が、深々と刺さった。
 「おの……れ……」
絶命の吐息と共に口から漏れる、憎悪と怨恨の言葉。
煌き輝いていた鱗からは光が失せ、雷竜もまた息絶えた。

――――饗宴は、一人の勝者を残して幕を下ろした。

それを静観していた、二体のドラゴン。
男は戦いに没頭するあまり、それらの存在に気付いて居なかった。
赤黒き衝動
 『……かかってこないのか』
荒い吐息を抑えながら、男は呟く。
それは風に紛れてしまって、耳に届かぬであろう音量であったが……ドラゴンである彼等にはしっかりと聞こえていた。
 「その力、甘美にて懐かしきものよ。主の兄弟にて古き者……野心、大君主、そして残酷……その力の侭に振るう姿、なんと勇ましきものであったか」
静観せし黒き瞳
黒き瞳と白い鱗を携えたドラゴンが、過日をいとおしむかのように呟いた。
 「しかしそれを再び眼にするのが、よもや定命の者によってとは思わなんだ。数奇にて奇異、このような運命は星霜の定めに刻まれてあろうものか?」
すると、もう一体の橙色(とうしょく)の鱗を備えたドラゴンも口を開いた。
その眼差しに宿る
 「我等、竜種全てが主を快く思わず、従わぬ者が居るのも道理ならば……摂理の輪から外れし定命の者が現われるのもまた道理なのかも知れぬ」
男を見るその眼は、なんとも哀れんでいるかのような深い瞳だった。
 「人を捨てて、なお人である者……竜を得て竜に非ず者……異質なる者よな。主の閨に来る以上、目的は言わずもがな……だが覚悟はしておけ。主が『主』たる所以(ゆえん)は、他を寄せ付けぬ圧倒的な力にある」
問いにも似たその言葉に対し、男は―――

 『それでも……戦う』
昂ぶる鼓動を抑え
湧き起こる高揚の感情を抑えながらも、答える。
 『戦うだけだ!』
その言葉に溜息にも似たものをもらしながら、黒き瞳のドラゴンは語る。
 「人とは違い、竜種は己が主に牙を向ける術を知らぬ。それは竜の宿命にそう課されているからだ……竜で有りながら竜で無き異質である貴様ならば、その薄き星霜の中にて特異なる事を成せるかも知れんな」

戦う意志のないドラゴン達から視線を逸らし、男は再び光の柱へと向き直った。
胸に灯りし
橙色のドラゴンはそれを見守る。
 「往くがよい、主が閨とせし『ソブンガルデ』へ。主はそこで魂を暴食し、なお力を蓄えている」


ドラゴン達に促される訳でもなく。
男は、自ら意を決し。

本陣

そこへ、飛び立った。



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 一章 【古を屠る為に】   ■■■   三章 【邪竜アルドゥイン】