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 三章 【邪竜アルドゥイン】
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光を抜けた先。

そこはまるで―――全てが止まっているかのような空間。

男は、そう感じた。


聖域
しかし、それでいてなお荘厳。
幽寂でありながらも、何かの胎動や息吹が聞こえてくるかのような。
張り詰めた冷たい空気とは別に、血を騒がせる何かを孕んだものを、男は感じた。

ソブンガルデ……―――
霊験あらたか
勇敢なノルド達の魂が死後送られてくると言う、世界。
ここに来られるのは、本来ノルドだけである以上、レッドガードである男にとっては絶対に目にする事のない領域。
ノルド達の聖域に、男は足を踏み入れたのである。
その事実に、僅かだが感慨と情緒に心を浸していた。
人の気配はなし
……だが。
今のここは正に、冷たき魂の牢獄。
邪竜によって蹂躙され暴食の限りを尽くされた、荒野にも等しい世界。
背中から駆け抜ける鋭い風で外套がたなびくと、男は我に返った。

―――進まねば。
霧の広がる地
胸の内に塗られた感慨と情緒は、再び闘いの高揚によって打ち消される。
段々になった高台から降り進み、そして霧に包まれた平野を道なりに進む。
強い足取りで駆けながらも、常に神経は尖らせつつ。
臆せず
湿気も冷気も感じない、奇妙な霧の中を進む。
確かな悪寒がうなじをくすぐりながらも、男は臆せずにひた進んだ。

そして……

―――遠くの空より、『それ』は聞こえた。
轟く咆哮
男は一旦足を止め、空を見上げる。

咆哮。

あの時、初めて姿を拝んだときに感じたものと同じ。
他を圧倒する絶対なる、恐怖。
脳天から爪先まで痺れさせるかのような、抗いがたき感覚。
だが―――
気圧されずに進む
男の両脚は、前に進んだ。
かつて感じた、背中に氷柱を打ち込まれたかのような恐怖感は、無い。
むしろ肉体が闘いへと急き立てるのだ。
精神が期待に満ちて顫動(せんどう)しているのだ。
肉体と精神が男の僅かな不安の感情とは裏腹に歓喜している、その時。

頭上を、一陣の風が過ぎる。

――そして。


 「久しき匂いに釣られて見てみれば……」
邪竜
大音量というわけでもないのに、男は鼓膜を引き裂かれるかのような痛みを、耳孔(じこう)の奥から感じた。
それは『声』というものを具現化させるドラゴンにとって、『声』そのものが既に破壊するためのものであるからに違いなかった。

 「ドヴァーキンでも、死したノルドでもない……生ある者であり、そして竜の息吹を携えし者……」

男の上空を旋回する、冥府の闇を体現せし黒き翼。
全てを焼き尽くすかのような真紅の双眸。
全ての生物の王者、ドラゴン……その中でも更に頂点に君臨すべき、絶対の王者。

 「その波動……そうか……パーサーナックス、あの老いぼれめ……力を渡したか」
懐古とも
邪竜……アルドゥイン。
 「そしてその魔力……小ざかしきものよな、賢者が。貴様の魔具による古傷が疼くぞ」

男は既に戦闘態勢に入っている。
その様子を見て、邪竜はけたたましく嘲笑。
七色の空に、その笑い声が響き渡った。
嘲笑、凶笑
 「哀れな人間よ、貴様はただの生贄に過ぎぬ。そう、次のドヴァーキンが育つまでの、な」

アルドゥインの言葉の真意。

前ドラゴンボーン、アベイとの闘いで、アルドゥインは傷を癒すために時間を費やした。
だが、導く者アリアは次代のドラゴンボーンを育成し切れなかった。
しかし既にアルドゥインは回復し、更なる力を蓄えた。
つまり今のドラゴンボーンは、アルドゥインと戦える状態ではない。
それが故に、時間を稼ぐためにこの人間が人身供犠を買って出た。

こう、思考が行きついたのだ。

 「だが、我が塒(ねぐら)に辿り着いた以上、相応の魂は備えているようだ……よかろう! 竜を宿せしその血、肉、魂、全てを喰らってやろうぞ!」

導かれるままに
宣言と共に、上空へと飛び去るアルドゥイン。
男はその言葉に答えず、ひたすらに駆けた。

そして―――
舞台
段になっている道を進み、奇妙な建物が浮かぶ島が見える場に出でる。

男は、躊躇いなくそこから飛び降りた。
飛翔せし
地面までかなりの高さがあったが、それは流石アリア特性の魔具。
通常ならば足を折りかねないほどの衝撃が、足の裏から身体全体に響いたが、びくともしない。
着地
欠片も、痛みを感じない。
それは間もなく始まる闘いへの昂ぶりからもあったかも知れない。
既に全身を巡る血が、熱く煮え滾っている。
血戦の場

開けた場。
男は、そこに佇んだ。
そして―――

男の咆哮
 『アルドゥイイィィィーーーンッ!!!』

その名を、叫んだ。
まるで、待ち人に焦がれる者のように。

 「人間が、我が名を呼ぶか!!」
周辺一体を揺るがす、轟音。
開戦の咆哮
それは、アルドゥインの咆哮。
男からの咆哮に応え、そしてそれは開戦の証であった。

ドラゴン同士が声と声をぶつけて鬩ぎ合うかの如く。

対峙、邪竜
 「幽(かそけ)き存在よ! 我が声を解せぬであろう、然らばその魂に刻め!」
烈哮、そして烈風。
その身に纏う風格と、威風は正に王者そのもの。

空の王者
 「我が名は、アルドゥイン!! 坤輿(こんよ)の破壊者にして、全てを貪り食らう、絶対の主なり!」

空間を引き裂くような『声』と共に、天空より降来せしは燃え盛る火球。
無尽蔵、大量、数多。
かつて、男がホワイトランで、イヴァルステッドで見た、聞いた、感じた、この熱。
火球、降来
無慈悲にまでに降り注いだそれが、今や自分一人に向かってきている。
男は最小限の動きで、火球の直撃を避ける。
しかしそれは、今までのドラゴン達が放ってきた『熱』とは比類なく。
その威力たるや、爆風だけでも凄まじい。
激しき熱の前に
 『ぐぅッ!』
思わず脚がしざるも、耐え切れないほどのものではない。
アリア・セレールから渡された魔具だからこそ、パーサーナックスから賜わった竜の双眼があるからこそ、耐えられる。
届かぬ刃
さもなければ、あの時に見たホワイトランの平民や衛兵のように、一瞬で黒炭の如き消墨と化していただろう。
火傷一つ無い自身の肉体に安堵しつつ、引き続き火球を避け続けた。
牙となった剣で爆風と破片を防ぎつつ、舞う煙を振り払う。

―――されど。

 「哀れだな、人間よ! 竜の力を得ようとも、所詮は人間の肉体!」
隔たり
響き渡る咆哮。
それは火球の合図。
 「牙を得、魔を得、ともすればオブリビオンの次元にすら達せようが……翼なくして、なにが竜か!」
さぞ愉快であるのか、呵呵とした大笑が空より響き渡る。
煮える
 『ぐぅっ……!』
降りしきる火球と、縦横無尽に舞う黒翼の前には、地上からでは成す術がない。
男は、自身に『声の力』が無い事を、痛烈に感じていた。

 「地に這いずれ! そして見上げよ! その視点こそが、敵わぬ主に対する畏敬のものよ!」

邪竜からの嘲笑と謗りが、男の精神を蝕む。
……戦の高揚に煮え滾る血とは、また別のものが煮えている。
烈
 『驕るな、邪竜!!』
確かなる怒り。
そしてその叫びにも似た声を聞き、嬉々とするは邪竜アルドゥイン。
 「ほう、竜の言語を解し発するか! 老竜の力の片鱗の賜物という訳ぞな!」
またしても歪が
自身の背後に感じる、奇妙な歪み。
外套が、歪んでいる。

そして―――後方から巻き起こる、風。
そう、それは顕現した。
翼
……翼!
魔具と、竜の力がまたしても呼応した。
 「翼……だと!?」
男の背には、そう。
鳥のものでも、はたまた蝙蝠のものでもない。
れっきとしたドラゴンの翼。
強靭な膂力を以ってして、空を自由に舞う翼が、顕現したのだった。
空中戦
男は、跳躍した。
 『良い気になるなッ!』
意思するだけで、背にある翼は思うが侭に動き、そして肉体を舞わせる。
進行方向を遮るかのように、男は飛翔し剣を、いや牙を振りかざす。
予想だにしなかった事態、アルドゥインは身体を反らすかのようにしてその牙から逃れた。
そして急旋回し、その身を岩場に降ろす。

 「これは驚いた、よもや翼を持とうとは!」
追う
雨の如く火球が降る中、男はその翼を駆使し避けつつも、目標めがけて一直線。
アルドゥインは再び黒翼を翻して飛び立つと、その直後に、岩場に男の牙が喰い込んだ。

岩自体を一閃する訳ではないが、その剣……の形をした『牙』には、ドラゴン独自の力が宿っている。

魂そのものを蝕む、強烈な毒のようなもの。
ドラゴン達の牙によって傷付けられると、掠っただけでも凄まじい痛みや脱力感に襲われるのは、そこにある。
生物として絶対王者たるものは、『声』そのものに力を宿しているのと同様、『牙』、『翼』、『爪』、に至るまで破壊を司るためにあるのだ。
故に、それを受ける訳にはいかない。
例え其れ等の頂点に立つものであっても、だ。

空を舞うに至っては、どちらも速度は同程度。
ならば身体は小さいほうが有利。
追撃
いかなる敏捷(はしこ)き翼を持てども、巨躯は誤魔化せない。
旋回し、新たな岩場に足を着け、その顎より灼熱を放とうとした、その時―――
 『うおおおぉぉーーッ!!』
既に、男の翼はその動きを捉え、読んでいた。
 「なにっ!?」
撃!
王者、とは思えぬ、その予想だにせぬ事態に対して漏れた言葉。
ついに、男の備えし『牙』が、頭頂部へと叩きこまれる!
 「グッ、オ、オオォォォッ!!」
確かな手応え、そして確かな一撃だった。
確かな一撃
しかし―――流石は王者相手。
一撃にて雌雄決すると言う事は能(あた)わず。
されど、その一撃は明確なる『痛み』を、邪竜に与えた。
 「下郎めがァァッ!!」
頭部に着いた男を振り払い、ついにアルドゥインは、地に降り立った。

それはすなわち、牙同士の鬩ぎ合いを行なうと言う事に他ならない。
そして、男もそれに応じて地に着した。
邪悪なる牙と
 「この『痛み』! 忌まわしきかな、人間よ!!」
牙と牙が、ぶつかり合う。
ドラゴンの備えし巨大な顎、そこから繰り出される邪竜の牙。
人間が備えし両腕、そこから繰り出される牙の斬撃。

―――熱気。

今この場を包むそれは、まさに『死』そのものと言えた。
邪竜。
そして王者。
その名を冠するのは、他を圧倒せし気風による。
引かぬ
男が『人』である事が幸いした。
もしも『ドラゴン』であったのならば、その熱気に中てられただけで、慄いただろう。
竜種が、主に、王者に逆らえぬというのは、この圧倒的な気迫に抗う術を知らぬから。

幾ら吠えようが、引かぬ。
幾ら牙を放とうが、退かぬ。

牙と牙が衝突し合う音が絶え間なく続く。

そして、ついに―――

 「人間でありながら、見事と言う他はなし! 嘗てドヴァーキンと牙を交えた時と遜色無いと言って良いだろう!」
アルドゥインは賛辞の言葉を口にし再び、空を舞う。
邪竜の真髄
その飛翔は、攻撃に転じるためでは無い。
邪竜の雄叫びによって、空間が歪むかのような。

―――否。

なんという事であろうか。
邪竜アルドゥインの巨躯が、更に肥大してゆくではないか。
 「此れよりは絶対の主たる、我が姿をその眼に刻ませてやろう!」
誘い
咆哮と共に繰り出される赤き波動。
それを身に纏いて、更なる巨躯へと変貌を遂げていくアルドゥイン。
男は歯噛みし、その様を下から眺める。
そして―――

 「来い! 遥けき高き地へ!! 我が相対する者の終焉に相応しき場へと誘おう!!」

アルドゥインは、その巨大な黒翼を翻し、天高く昇って行く。
誘われるままに、男も翼を用いてその後を追った。




――――――





決戦の場
遥かなる上空。
浮いた岩が奇妙に連なり、円形を象っていた。
その円の中央部分に、アルドゥインは座すかのようにして羽ばたいている。
そして、その足場へと男は降り立つ。

邂逅、邪神竜
 「懐かしきかな……この舞台! 光栄に思え! 貴様は塵芥の人間でありながら、英雄であるドヴァーキンと同じ場所にて死ねるのだぞ!」

巨躯。
もはやその姿、絶対の破壊を司る『神』とも言ってもいい。
先代のドラゴンボーン、アベイは……このような相手と、対峙していたのだ。
男の胸中に過ぎったのは、ドラゴンボーン、アベイに対する畏敬の念。
そして、未だ潰えぬ遥かなる闘志。

 「さあ、人間よ! 戯れはこれまで!! その身、朽ちるまで!! 貴様の牙を鳴らせい!!」
それは口伝にもならぬ
 『行くぞぉォォーーッ!!』

男は、駆けた。

相対するものの、圧倒的な力に気圧されず。
伝承の始まり
闘志と、意志を胸に。

その翼を、広げた。





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 二章 【遠き地に響く咆哮】   ■■■   四章 【神の最高傑作】