====================
三章 【邪竜アルドゥイン】
====================
光を抜けた先。
そこはまるで―――全てが止まっているかのような空間。
男は、そう感じた。
しかし、それでいてなお荘厳。
幽寂でありながらも、何かの胎動や息吹が聞こえてくるかのような。
張り詰めた冷たい空気とは別に、血を騒がせる何かを孕んだものを、男は感じた。
ソブンガルデ……―――
勇敢なノルド達の魂が死後送られてくると言う、世界。
ここに来られるのは、本来ノルドだけである以上、レッドガードである男にとっては絶対に目にする事のない領域。
ノルド達の聖域に、男は足を踏み入れたのである。
その事実に、僅かだが感慨と情緒に心を浸していた。
……だが。
今のここは正に、冷たき魂の牢獄。
邪竜によって蹂躙され暴食の限りを尽くされた、荒野にも等しい世界。
背中から駆け抜ける鋭い風で外套がたなびくと、男は我に返った。
―――進まねば。
胸の内に塗られた感慨と情緒は、再び闘いの高揚によって打ち消される。
段々になった高台から降り進み、そして霧に包まれた平野を道なりに進む。
強い足取りで駆けながらも、常に神経は尖らせつつ。
湿気も冷気も感じない、奇妙な霧の中を進む。
確かな悪寒がうなじをくすぐりながらも、男は臆せずにひた進んだ。
そして……
―――遠くの空より、『それ』は聞こえた。
男は一旦足を止め、空を見上げる。
咆哮。
あの時、初めて姿を拝んだときに感じたものと同じ。
他を圧倒する絶対なる、恐怖。
脳天から爪先まで痺れさせるかのような、抗いがたき感覚。
だが―――
男の両脚は、前に進んだ。
かつて感じた、背中に氷柱を打ち込まれたかのような恐怖感は、無い。
むしろ肉体が闘いへと急き立てるのだ。
精神が期待に満ちて顫動(せんどう)しているのだ。
肉体と精神が男の僅かな不安の感情とは裏腹に歓喜している、その時。
頭上を、一陣の風が過ぎる。
――そして。
「久しき匂いに釣られて見てみれば……」
大音量というわけでもないのに、男は鼓膜を引き裂かれるかのような痛みを、耳孔(じこう)の奥から感じた。
それは『声』というものを具現化させるドラゴンにとって、『声』そのものが既に破壊するためのものであるからに違いなかった。
「ドヴァーキンでも、死したノルドでもない……生ある者であり、そして竜の息吹を携えし者……」
男の上空を旋回する、冥府の闇を体現せし黒き翼。
全てを焼き尽くすかのような真紅の双眸。
全ての生物の王者、ドラゴン……その中でも更に頂点に君臨すべき、絶対の王者。
「その波動……そうか……パーサーナックス、あの老いぼれめ……力を渡したか」
邪竜……アルドゥイン。
「そしてその魔力……小ざかしきものよな、賢者が。貴様の魔具による古傷が疼くぞ」
男は既に戦闘態勢に入っている。
その様子を見て、邪竜はけたたましく嘲笑。
七色の空に、その笑い声が響き渡った。
「哀れな人間よ、貴様はただの生贄に過ぎぬ。そう、次のドヴァーキンが育つまでの、な」
アルドゥインの言葉の真意。
前ドラゴンボーン、アベイとの闘いで、アルドゥインは傷を癒すために時間を費やした。
だが、導く者アリアは次代のドラゴンボーンを育成し切れなかった。
しかし既にアルドゥインは回復し、更なる力を蓄えた。
つまり今のドラゴンボーンは、アルドゥインと戦える状態ではない。
それが故に、時間を稼ぐためにこの人間が人身供犠を買って出た。
こう、思考が行きついたのだ。
「だが、我が塒(ねぐら)に辿り着いた以上、相応の魂は備えているようだ……よかろう! 竜を宿せしその血、肉、魂、全てを喰らってやろうぞ!」
宣言と共に、上空へと飛び去るアルドゥイン。
男はその言葉に答えず、ひたすらに駆けた。
そして―――
段になっている道を進み、奇妙な建物が浮かぶ島が見える場に出でる。
男は、躊躇いなくそこから飛び降りた。
地面までかなりの高さがあったが、それは流石アリア特性の魔具。
通常ならば足を折りかねないほどの衝撃が、足の裏から身体全体に響いたが、びくともしない。
欠片も、痛みを感じない。
それは間もなく始まる闘いへの昂ぶりからもあったかも知れない。
既に全身を巡る血が、熱く煮え滾っている。
開けた場。
男は、そこに佇んだ。
そして―――
『アルドゥイイィィィーーーンッ!!!』
その名を、叫んだ。
まるで、待ち人に焦がれる者のように。
「人間が、我が名を呼ぶか!!」
周辺一体を揺るがす、轟音。
それは、アルドゥインの咆哮。
男からの咆哮に応え、そしてそれは開戦の証であった。
ドラゴン同士が声と声をぶつけて鬩ぎ合うかの如く。
「幽(かそけ)き存在よ! 我が声を解せぬであろう、然らばその魂に刻め!」
烈哮、そして烈風。
その身に纏う風格と、威風は正に王者そのもの。
「我が名は、アルドゥイン!! 坤輿(こんよ)の破壊者にして、全てを貪り食らう、絶対の主なり!」
空間を引き裂くような『声』と共に、天空より降来せしは燃え盛る火球。
無尽蔵、大量、数多。
かつて、男がホワイトランで、イヴァルステッドで見た、聞いた、感じた、この熱。
無慈悲にまでに降り注いだそれが、今や自分一人に向かってきている。
男は最小限の動きで、火球の直撃を避ける。
しかしそれは、今までのドラゴン達が放ってきた『熱』とは比類なく。
その威力たるや、爆風だけでも凄まじい。
『ぐぅッ!』
思わず脚がしざるも、耐え切れないほどのものではない。
アリア・セレールから渡された魔具だからこそ、パーサーナックスから賜わった竜の双眼があるからこそ、耐えられる。
さもなければ、あの時に見たホワイトランの平民や衛兵のように、一瞬で黒炭の如き消墨と化していただろう。
火傷一つ無い自身の肉体に安堵しつつ、引き続き火球を避け続けた。
牙となった剣で爆風と破片を防ぎつつ、舞う煙を振り払う。
―――されど。
「哀れだな、人間よ! 竜の力を得ようとも、所詮は人間の肉体!」
響き渡る咆哮。
それは火球の合図。
「牙を得、魔を得、ともすればオブリビオンの次元にすら達せようが……翼なくして、なにが竜か!」
さぞ愉快であるのか、呵呵とした大笑が空より響き渡る。
『ぐぅっ……!』
降りしきる火球と、縦横無尽に舞う黒翼の前には、地上からでは成す術がない。
男は、自身に『声の力』が無い事を、痛烈に感じていた。
「地に這いずれ! そして見上げよ! その視点こそが、敵わぬ主に対する畏敬のものよ!」
邪竜からの嘲笑と謗りが、男の精神を蝕む。
……戦の高揚に煮え滾る血とは、また別のものが煮えている。
『驕るな、邪竜!!』
確かなる怒り。
そしてその叫びにも似た声を聞き、嬉々とするは邪竜アルドゥイン。
「ほう、竜の言語を解し発するか! 老竜の力の片鱗の賜物という訳ぞな!」
自身の背後に感じる、奇妙な歪み。
外套が、歪んでいる。
そして―――後方から巻き起こる、風。
そう、それは顕現した。
……翼!
魔具と、竜の力がまたしても呼応した。
「翼……だと!?」
男の背には、そう。
鳥のものでも、はたまた蝙蝠のものでもない。
れっきとしたドラゴンの翼。
強靭な膂力を以ってして、空を自由に舞う翼が、顕現したのだった。
男は、跳躍した。
『良い気になるなッ!』
意思するだけで、背にある翼は思うが侭に動き、そして肉体を舞わせる。
進行方向を遮るかのように、男は飛翔し剣を、いや牙を振りかざす。
予想だにしなかった事態、アルドゥインは身体を反らすかのようにしてその牙から逃れた。
そして急旋回し、その身を岩場に降ろす。
「これは驚いた、よもや翼を持とうとは!」
雨の如く火球が降る中、男はその翼を駆使し避けつつも、目標めがけて一直線。
アルドゥインは再び黒翼を翻して飛び立つと、その直後に、岩場に男の牙が喰い込んだ。
岩自体を一閃する訳ではないが、その剣……の形をした『牙』には、ドラゴン独自の力が宿っている。
魂そのものを蝕む、強烈な毒のようなもの。
ドラゴン達の牙によって傷付けられると、掠っただけでも凄まじい痛みや脱力感に襲われるのは、そこにある。
生物として絶対王者たるものは、『声』そのものに力を宿しているのと同様、『牙』、『翼』、『爪』、に至るまで破壊を司るためにあるのだ。
故に、それを受ける訳にはいかない。
例え其れ等の頂点に立つものであっても、だ。
空を舞うに至っては、どちらも速度は同程度。
ならば身体は小さいほうが有利。
いかなる敏捷(はしこ)き翼を持てども、巨躯は誤魔化せない。
旋回し、新たな岩場に足を着け、その顎より灼熱を放とうとした、その時―――
『うおおおぉぉーーッ!!』
既に、男の翼はその動きを捉え、読んでいた。
「なにっ!?」
王者、とは思えぬ、その予想だにせぬ事態に対して漏れた言葉。
ついに、男の備えし『牙』が、頭頂部へと叩きこまれる!
「グッ、オ、オオォォォッ!!」
確かな手応え、そして確かな一撃だった。
しかし―――流石は王者相手。
一撃にて雌雄決すると言う事は能(あた)わず。
されど、その一撃は明確なる『痛み』を、邪竜に与えた。
「下郎めがァァッ!!」
頭部に着いた男を振り払い、ついにアルドゥインは、地に降り立った。
それはすなわち、牙同士の鬩ぎ合いを行なうと言う事に他ならない。
そして、男もそれに応じて地に着した。
「この『痛み』! 忌まわしきかな、人間よ!!」
牙と牙が、ぶつかり合う。
ドラゴンの備えし巨大な顎、そこから繰り出される邪竜の牙。
人間が備えし両腕、そこから繰り出される牙の斬撃。
―――熱気。
今この場を包むそれは、まさに『死』そのものと言えた。
邪竜。
そして王者。
その名を冠するのは、他を圧倒せし気風による。
男が『人』である事が幸いした。
もしも『ドラゴン』であったのならば、その熱気に中てられただけで、慄いただろう。
竜種が、主に、王者に逆らえぬというのは、この圧倒的な気迫に抗う術を知らぬから。
幾ら吠えようが、引かぬ。
幾ら牙を放とうが、退かぬ。
牙と牙が衝突し合う音が絶え間なく続く。
そして、ついに―――
「人間でありながら、見事と言う他はなし! 嘗てドヴァーキンと牙を交えた時と遜色無いと言って良いだろう!」
アルドゥインは賛辞の言葉を口にし再び、空を舞う。
その飛翔は、攻撃に転じるためでは無い。
邪竜の雄叫びによって、空間が歪むかのような。
―――否。
なんという事であろうか。
邪竜アルドゥインの巨躯が、更に肥大してゆくではないか。
「此れよりは絶対の主たる、我が姿をその眼に刻ませてやろう!」
咆哮と共に繰り出される赤き波動。
それを身に纏いて、更なる巨躯へと変貌を遂げていくアルドゥイン。
男は歯噛みし、その様を下から眺める。
そして―――
「来い! 遥けき高き地へ!! 我が相対する者の終焉に相応しき場へと誘おう!!」
アルドゥインは、その巨大な黒翼を翻し、天高く昇って行く。
誘われるままに、男も翼を用いてその後を追った。
――――――
遥かなる上空。
浮いた岩が奇妙に連なり、円形を象っていた。
その円の中央部分に、アルドゥインは座すかのようにして羽ばたいている。
そして、その足場へと男は降り立つ。
「懐かしきかな……この舞台! 光栄に思え! 貴様は塵芥の人間でありながら、英雄であるドヴァーキンと同じ場所にて死ねるのだぞ!」
巨躯。
もはやその姿、絶対の破壊を司る『神』とも言ってもいい。
先代のドラゴンボーン、アベイは……このような相手と、対峙していたのだ。
男の胸中に過ぎったのは、ドラゴンボーン、アベイに対する畏敬の念。
そして、未だ潰えぬ遥かなる闘志。
「さあ、人間よ! 戯れはこれまで!! その身、朽ちるまで!! 貴様の牙を鳴らせい!!」
『行くぞぉォォーーッ!!』
男は、駆けた。
相対するものの、圧倒的な力に気圧されず。
闘志と、意志を胸に。
その翼を、広げた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
=================================
二章 【遠き地に響く咆哮】 ■■■ 四章 【神の最高傑作】
そこはまるで―――全てが止まっているかのような空間。
男は、そう感じた。
しかし、それでいてなお荘厳。
幽寂でありながらも、何かの胎動や息吹が聞こえてくるかのような。
張り詰めた冷たい空気とは別に、血を騒がせる何かを孕んだものを、男は感じた。
ソブンガルデ……―――
勇敢なノルド達の魂が死後送られてくると言う、世界。
ここに来られるのは、本来ノルドだけである以上、レッドガードである男にとっては絶対に目にする事のない領域。
ノルド達の聖域に、男は足を踏み入れたのである。
その事実に、僅かだが感慨と情緒に心を浸していた。
……だが。
今のここは正に、冷たき魂の牢獄。
邪竜によって蹂躙され暴食の限りを尽くされた、荒野にも等しい世界。
背中から駆け抜ける鋭い風で外套がたなびくと、男は我に返った。
―――進まねば。
胸の内に塗られた感慨と情緒は、再び闘いの高揚によって打ち消される。
段々になった高台から降り進み、そして霧に包まれた平野を道なりに進む。
強い足取りで駆けながらも、常に神経は尖らせつつ。
湿気も冷気も感じない、奇妙な霧の中を進む。
確かな悪寒がうなじをくすぐりながらも、男は臆せずにひた進んだ。
そして……
―――遠くの空より、『それ』は聞こえた。
男は一旦足を止め、空を見上げる。
咆哮。
あの時、初めて姿を拝んだときに感じたものと同じ。
他を圧倒する絶対なる、恐怖。
脳天から爪先まで痺れさせるかのような、抗いがたき感覚。
だが―――
男の両脚は、前に進んだ。
かつて感じた、背中に氷柱を打ち込まれたかのような恐怖感は、無い。
むしろ肉体が闘いへと急き立てるのだ。
精神が期待に満ちて顫動(せんどう)しているのだ。
肉体と精神が男の僅かな不安の感情とは裏腹に歓喜している、その時。
頭上を、一陣の風が過ぎる。
――そして。
「久しき匂いに釣られて見てみれば……」
大音量というわけでもないのに、男は鼓膜を引き裂かれるかのような痛みを、耳孔(じこう)の奥から感じた。
それは『声』というものを具現化させるドラゴンにとって、『声』そのものが既に破壊するためのものであるからに違いなかった。
「ドヴァーキンでも、死したノルドでもない……生ある者であり、そして竜の息吹を携えし者……」
男の上空を旋回する、冥府の闇を体現せし黒き翼。
全てを焼き尽くすかのような真紅の双眸。
全ての生物の王者、ドラゴン……その中でも更に頂点に君臨すべき、絶対の王者。
「その波動……そうか……パーサーナックス、あの老いぼれめ……力を渡したか」
邪竜……アルドゥイン。
「そしてその魔力……小ざかしきものよな、賢者が。貴様の魔具による古傷が疼くぞ」
男は既に戦闘態勢に入っている。
その様子を見て、邪竜はけたたましく嘲笑。
七色の空に、その笑い声が響き渡った。
「哀れな人間よ、貴様はただの生贄に過ぎぬ。そう、次のドヴァーキンが育つまでの、な」
アルドゥインの言葉の真意。
前ドラゴンボーン、アベイとの闘いで、アルドゥインは傷を癒すために時間を費やした。
だが、導く者アリアは次代のドラゴンボーンを育成し切れなかった。
しかし既にアルドゥインは回復し、更なる力を蓄えた。
つまり今のドラゴンボーンは、アルドゥインと戦える状態ではない。
それが故に、時間を稼ぐためにこの人間が人身供犠を買って出た。
こう、思考が行きついたのだ。
「だが、我が塒(ねぐら)に辿り着いた以上、相応の魂は備えているようだ……よかろう! 竜を宿せしその血、肉、魂、全てを喰らってやろうぞ!」
宣言と共に、上空へと飛び去るアルドゥイン。
男はその言葉に答えず、ひたすらに駆けた。
そして―――
段になっている道を進み、奇妙な建物が浮かぶ島が見える場に出でる。
男は、躊躇いなくそこから飛び降りた。
地面までかなりの高さがあったが、それは流石アリア特性の魔具。
通常ならば足を折りかねないほどの衝撃が、足の裏から身体全体に響いたが、びくともしない。
欠片も、痛みを感じない。
それは間もなく始まる闘いへの昂ぶりからもあったかも知れない。
既に全身を巡る血が、熱く煮え滾っている。
開けた場。
男は、そこに佇んだ。
そして―――
『アルドゥイイィィィーーーンッ!!!』
その名を、叫んだ。
まるで、待ち人に焦がれる者のように。
「人間が、我が名を呼ぶか!!」
周辺一体を揺るがす、轟音。
それは、アルドゥインの咆哮。
男からの咆哮に応え、そしてそれは開戦の証であった。
ドラゴン同士が声と声をぶつけて鬩ぎ合うかの如く。
「幽(かそけ)き存在よ! 我が声を解せぬであろう、然らばその魂に刻め!」
烈哮、そして烈風。
その身に纏う風格と、威風は正に王者そのもの。
「我が名は、アルドゥイン!! 坤輿(こんよ)の破壊者にして、全てを貪り食らう、絶対の主なり!」
空間を引き裂くような『声』と共に、天空より降来せしは燃え盛る火球。
無尽蔵、大量、数多。
かつて、男がホワイトランで、イヴァルステッドで見た、聞いた、感じた、この熱。
無慈悲にまでに降り注いだそれが、今や自分一人に向かってきている。
男は最小限の動きで、火球の直撃を避ける。
しかしそれは、今までのドラゴン達が放ってきた『熱』とは比類なく。
その威力たるや、爆風だけでも凄まじい。
『ぐぅッ!』
思わず脚がしざるも、耐え切れないほどのものではない。
アリア・セレールから渡された魔具だからこそ、パーサーナックスから賜わった竜の双眼があるからこそ、耐えられる。
さもなければ、あの時に見たホワイトランの平民や衛兵のように、一瞬で黒炭の如き消墨と化していただろう。
火傷一つ無い自身の肉体に安堵しつつ、引き続き火球を避け続けた。
牙となった剣で爆風と破片を防ぎつつ、舞う煙を振り払う。
―――されど。
「哀れだな、人間よ! 竜の力を得ようとも、所詮は人間の肉体!」
響き渡る咆哮。
それは火球の合図。
「牙を得、魔を得、ともすればオブリビオンの次元にすら達せようが……翼なくして、なにが竜か!」
さぞ愉快であるのか、呵呵とした大笑が空より響き渡る。
『ぐぅっ……!』
降りしきる火球と、縦横無尽に舞う黒翼の前には、地上からでは成す術がない。
男は、自身に『声の力』が無い事を、痛烈に感じていた。
「地に這いずれ! そして見上げよ! その視点こそが、敵わぬ主に対する畏敬のものよ!」
邪竜からの嘲笑と謗りが、男の精神を蝕む。
……戦の高揚に煮え滾る血とは、また別のものが煮えている。
『驕るな、邪竜!!』
確かなる怒り。
そしてその叫びにも似た声を聞き、嬉々とするは邪竜アルドゥイン。
「ほう、竜の言語を解し発するか! 老竜の力の片鱗の賜物という訳ぞな!」
自身の背後に感じる、奇妙な歪み。
外套が、歪んでいる。
そして―――後方から巻き起こる、風。
そう、それは顕現した。
……翼!
魔具と、竜の力がまたしても呼応した。
「翼……だと!?」
男の背には、そう。
鳥のものでも、はたまた蝙蝠のものでもない。
れっきとしたドラゴンの翼。
強靭な膂力を以ってして、空を自由に舞う翼が、顕現したのだった。
男は、跳躍した。
『良い気になるなッ!』
意思するだけで、背にある翼は思うが侭に動き、そして肉体を舞わせる。
進行方向を遮るかのように、男は飛翔し剣を、いや牙を振りかざす。
予想だにしなかった事態、アルドゥインは身体を反らすかのようにしてその牙から逃れた。
そして急旋回し、その身を岩場に降ろす。
「これは驚いた、よもや翼を持とうとは!」
雨の如く火球が降る中、男はその翼を駆使し避けつつも、目標めがけて一直線。
アルドゥインは再び黒翼を翻して飛び立つと、その直後に、岩場に男の牙が喰い込んだ。
岩自体を一閃する訳ではないが、その剣……の形をした『牙』には、ドラゴン独自の力が宿っている。
魂そのものを蝕む、強烈な毒のようなもの。
ドラゴン達の牙によって傷付けられると、掠っただけでも凄まじい痛みや脱力感に襲われるのは、そこにある。
生物として絶対王者たるものは、『声』そのものに力を宿しているのと同様、『牙』、『翼』、『爪』、に至るまで破壊を司るためにあるのだ。
故に、それを受ける訳にはいかない。
例え其れ等の頂点に立つものであっても、だ。
空を舞うに至っては、どちらも速度は同程度。
ならば身体は小さいほうが有利。
いかなる敏捷(はしこ)き翼を持てども、巨躯は誤魔化せない。
旋回し、新たな岩場に足を着け、その顎より灼熱を放とうとした、その時―――
『うおおおぉぉーーッ!!』
既に、男の翼はその動きを捉え、読んでいた。
「なにっ!?」
王者、とは思えぬ、その予想だにせぬ事態に対して漏れた言葉。
ついに、男の備えし『牙』が、頭頂部へと叩きこまれる!
「グッ、オ、オオォォォッ!!」
確かな手応え、そして確かな一撃だった。
しかし―――流石は王者相手。
一撃にて雌雄決すると言う事は能(あた)わず。
されど、その一撃は明確なる『痛み』を、邪竜に与えた。
「下郎めがァァッ!!」
頭部に着いた男を振り払い、ついにアルドゥインは、地に降り立った。
それはすなわち、牙同士の鬩ぎ合いを行なうと言う事に他ならない。
そして、男もそれに応じて地に着した。
「この『痛み』! 忌まわしきかな、人間よ!!」
牙と牙が、ぶつかり合う。
ドラゴンの備えし巨大な顎、そこから繰り出される邪竜の牙。
人間が備えし両腕、そこから繰り出される牙の斬撃。
―――熱気。
今この場を包むそれは、まさに『死』そのものと言えた。
邪竜。
そして王者。
その名を冠するのは、他を圧倒せし気風による。
男が『人』である事が幸いした。
もしも『ドラゴン』であったのならば、その熱気に中てられただけで、慄いただろう。
竜種が、主に、王者に逆らえぬというのは、この圧倒的な気迫に抗う術を知らぬから。
幾ら吠えようが、引かぬ。
幾ら牙を放とうが、退かぬ。
牙と牙が衝突し合う音が絶え間なく続く。
そして、ついに―――
「人間でありながら、見事と言う他はなし! 嘗てドヴァーキンと牙を交えた時と遜色無いと言って良いだろう!」
アルドゥインは賛辞の言葉を口にし再び、空を舞う。
その飛翔は、攻撃に転じるためでは無い。
邪竜の雄叫びによって、空間が歪むかのような。
―――否。
なんという事であろうか。
邪竜アルドゥインの巨躯が、更に肥大してゆくではないか。
「此れよりは絶対の主たる、我が姿をその眼に刻ませてやろう!」
咆哮と共に繰り出される赤き波動。
それを身に纏いて、更なる巨躯へと変貌を遂げていくアルドゥイン。
男は歯噛みし、その様を下から眺める。
そして―――
「来い! 遥けき高き地へ!! 我が相対する者の終焉に相応しき場へと誘おう!!」
アルドゥインは、その巨大な黒翼を翻し、天高く昇って行く。
誘われるままに、男も翼を用いてその後を追った。
――――――
遥かなる上空。
浮いた岩が奇妙に連なり、円形を象っていた。
その円の中央部分に、アルドゥインは座すかのようにして羽ばたいている。
そして、その足場へと男は降り立つ。
「懐かしきかな……この舞台! 光栄に思え! 貴様は塵芥の人間でありながら、英雄であるドヴァーキンと同じ場所にて死ねるのだぞ!」
巨躯。
もはやその姿、絶対の破壊を司る『神』とも言ってもいい。
先代のドラゴンボーン、アベイは……このような相手と、対峙していたのだ。
男の胸中に過ぎったのは、ドラゴンボーン、アベイに対する畏敬の念。
そして、未だ潰えぬ遥かなる闘志。
「さあ、人間よ! 戯れはこれまで!! その身、朽ちるまで!! 貴様の牙を鳴らせい!!」
『行くぞぉォォーーッ!!』
男は、駆けた。
相対するものの、圧倒的な力に気圧されず。
闘志と、意志を胸に。
その翼を、広げた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
=================================
二章 【遠き地に響く咆哮】 ■■■ 四章 【神の最高傑作】