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四章 【神の最高傑作】
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『牙』を構え、空を駆けた、その時―――
「声は力の原点! 均衡を外し! 圧しき力は頂点と為す!」

それは、一瞬だった。
邪竜アルドゥインが、言葉を並べた瞬間、強烈な突風……いや、純然たる力の波動と言うべきか。
その大きな口から、全てを弾き飛ばす力の『声』を放った。
そして、男はそれに抗えず、大きく吹き飛ばされた。
『ぐぅ……ッ!』

身を翻し、翼を駆使して体勢を直す。
その間にも、空より火球は降り注ぎ、それは、体に―――
『うおおッ!』
直撃し、そしてその勢いに乗せられ―――

足場となった岩に、男の身体は叩き付けられた。
常人であらば、『声』を浴びただけで肉体はバラバラに弾け飛んでいたのかも知れない。
それだけアルドゥインの『声』の威力は凄まじかった。
巨躯となった事によって更に力が増したのか。
はたまた、その力を解放しただけなのか。
否、これこそが邪竜アルドゥインの真の力。
真の強さ。
生物の、大空の王者達の頂点、主たる所以。
「逃れえぬ災厄! 灼熱に抱かれ! 滅せ!」
アルドゥインの言葉。

それ自体に、大きな力が宿っている。
その並べた言葉のすぐ後に響く、轟音。
確かな熱と、速度と、そして大きさを備えた漆黒の火球。

体勢を直すも、時既に遅し。
それは眼前に迫り、とても避けられるような状況では無かった。

男はすぐさま『牙』を構え、それの威力を少しでも和らげようと試みる、が。
その威力たるや、想像を絶する。
『牙』を以ってして何とか直撃は防げたものの……

男の身体は、その漆黒の火球による爆風によってまた吹き飛ばされていた。
火球の破片による怪我こそ無い。
灼熱による火傷も無い。
アリア・セレールによる魔具の賜物だろう。
だが、男の肉体には確かな『痛み』が有った。

『まだまだぁ……!』
迫り来る火球が、岩場にぶつかり破片を撒き散らす。
白光に彩られた視界に煩わしさを感じながらも、男の闘志は潰えていない。
『うおおおぉぉーーー!』

男の雄叫び。
それに呼応し、両脚が倒すべき敵の方へと一直線に向かってくれる。
背中に生えた翼が、飛び立てと告げている。
手にした『牙』が、敵の喉元に喰らいつきたいと唸っている。

空から絶えず降りしきる火球を潜りぬけ、今再び。
男は、飛びかかった―――

のだが。
「力! 均衡! 圧力!」
単語の羅列。

ドラゴンによる、声そのもの力。
男の身体は再び、力の波動による洗礼を受ける。
先程受けたものよりも若干その威力は抑えられたものであったが―――

『ぐっ!』
男の身体を弾き飛ばすには、充分すぎるほどの威力であった。
またしても飛び上がった所に『声』を浴びせられ、岩場に叩き付けられた。
真正面から挫かれるというのは、往々にして戦意を削がれるものだが……それでも男の闘志はなお潰えず。

『なんの……!』
両脚が、自身を奮い立たせてくれる。
竜の双眸から流れる力が、闘いに対して胸を熱くさせてくれる。
全身を護ってくれている魔具が、まだ闘える事を教えてくれている。
「泥濘! 腐蝕! 顎!」
『まだだ……!』

奮起し、立ち上がった、直後。
敵ながらよくぞ立ち上がった、と言う賛辞すら無い。
単語の羅列は既に、それの襲来を意味していた。
『!!』

漆黒の火球が、またしても降り注ぐ!
だが!
今度は、その炸裂から避けられた。
単語の羅列があった以上、男も警戒をしていたからだ。

熱風、爆風、破片、砂煙。
火球の炸裂に伴う全てのものが吹き荒れる。
それは同時に、邪竜アルドゥインへの目眩ましともなろう。
反撃、攻めの一手は今しかないと男は踏んだ。
その翼を、両脚を、両腕を、牙を、全てを駆使せんとした、その時―――!
「ヨワキ、モノ! クライ、ツクス!」

『な、なに!?』
なんと驚くべき事か。
足場の砂煙が僅かに晴れると、割れた漆黒の火球の中から、肉が腐り果てているかのような醜くく小さなドラゴンが現われた!
ヌチャヌチャと粘質な音と共に足元からは肉が崩れ、それでも男の方へと進んでくる。
「クラウ! ソノニク! ニク! クライ、ツクス!」
小刻みに、確かな足取りで、かなりの速度で。
『邪魔を……するなぁッ!』
この腐竜が跳び立つ前の妨害になる事は明白。

「ギャッ」
牙による、一閃!
泥を切り裂いたかのような重く粘ついた感触。
その体躯の通りとも言うべきか、その身を護る鱗すらない腐竜は、その『牙』の一閃によって容易く絶命した。
……だったのだが。
「グハハハッ! ニク、ニクゥ! クラウ! クライ、ツクス!」

砂煙が完全に晴れた岩場には、もう一体の腐竜が禍々しく大笑していた。。
『ま、まだ居るのか……ッ!』
男は歯噛みを隠せずにいた。
そうこうしている内に、また―――
「災禍! 業炎! 絶!」
邪竜アルドゥインの言葉の羅列……いや、もはやこれは『詠唱』とも言えた。
――また、何かが来る!――
男は焦燥した。

「アギャッ」
降りしきる火球を掻い潜り、腐竜へと『牙』を突きたて、滅す。
そして男は即座に、邪竜アルドゥインの方へと向き直る。
―――漆黒の火球!

豪速、灼熱。
それらが入り混じった、それは―――
間に合わない?
受け切るしかない?
避けるか?
男は、覚悟を決めた。

直前での回避。
男が選んだのは、それだった。
そして、爆風と熱風と破片に塗れながらも、男は直撃を免れた。

漆黒の火球を避けきった。
然らば反撃するのは今。
また『声』によって弾き飛ばされるかもしれないが……それでも構わない。
攻めねば、やられる。
当然の事。
男は割れた漆黒の火球の間を進み、いざ―――

飛びかからん、と向き直った、のだが。
なんと。
『!?』

またしても、漆黒の火球!
言葉の羅列……詠唱も無かったのに、何故?
男の脳内には疑問で埋め尽くされた。
考えるよりも先に、身体が動いて『牙』で防いでくれた。

本能的な防御だった。
身体が無意識に動いた。
そしてそれによって、男は助かったのだ。
自身の直感に、最大限の賛辞を送った。
だが、『痛み』は、とても素直。
ついに、それは肉体を軋ませるほどのものとなった。
しかし、それでもなお―――

漆黒の火球は、降り注いだ。
先程の邪竜アルドゥインの詠唱は、漆黒の火球を連続で降らせるためのものだったのだ。
ドラゴンの主たる、邪竜アルドゥイン。
アカトシュが作りだした原初にして頂点のドラゴン。
其れが備える『言語』は、他のドラゴンの言葉を遥かに越える数の、力を持った単語。
まさに、王者たる所以……。

―――神の最高傑作。

『ああ……』
男は、ただ一言。
呆然と、呟いた。

漆黒の火球が、男に炸裂する。
直撃。
無様、と言えるほどに吹き飛ばされた。
ごつごつした無骨な石ころが転がされたかのように、揺れながら。
……それでも、男は、立ち上がろうとした。
『牙』を支えにし、奮起した。

自身の両脚を鼓舞した。
自身の心を激励した。
だが……立てない。
膝が、曲がったままだった。
そして、それでもなお、邪竜アルドゥインによる攻撃は止まない。

「どうした、人間よ? 何故立たぬ? 何故立てぬ? 先程までの威勢はどこへいったか?」
挑発、嘲笑、誹謗。
『おの、れぇ……!』
不屈なる言葉とは裏腹に悲鳴をあげている男の肉体を見て、失笑して見下すは、邪竜アルドゥイン。

「何故我と渡りあえぬか……教えてやろう、人間よ。実に簡単な事だ」
邪竜アルドゥインは一拍間を置き、そして宣誓するかの如く――告げた。
「それはお前が、ドラゴンボーンではないからだ! 」

―――からん。
男が持っていた『牙』……いや、剣が、手から離れて地に落ちた。
「ドラゴンボーンですら勝てなかった我を前に、何故ただの人間である貴様が渡り合えると思ったか!!」
―――その言葉は正に、決定的だった。

闘志が、潰えた。
肉体は痛みに従うままに、動かなくなった。
男の胸中に宿っていた闘いの鐘が、止まった。

「無様だな……ドラゴンボーンは最期まで闘い抜いたぞ。貴様はそれすらも出来ぬと言うのか?」
絶対の勝利の確信。
その言葉に含まれた色は、とても残酷で加虐なものに塗れていた。
―――絶望。

男の胸には、冷たいそれだけが、広がっていた。
「哀れな姿だな! かつては我に続く程の力量を備えた天竜、パーサーナックスの力を宿せども……所詮貴様は、人間よ!」
身体が、動かない。
指先が、爪先が、震える。

それは、恐怖か?
または、慙愧か?
男には、解らなかった。
ただ一つ。
男の中で絶対の事実であるのは―――

もう、己は立てない。
己はアルドゥインには、勝てない。
闘志が、魂が、燃え尽きた。
それだけは、確かだった。
―――男は、地に伏した。

「打ちひしがれよ、絶望に! 恐怖せよ、我が力に! 悔悟せよ、短き命に於いて!」
邪竜アルドゥインの禍々しい声を、枕にし。
「許しを乞え、定命の者どもよ! 世界を喰らいし絶対の存在に!!」
空を覆う残忍な笑声(しょうせい)を、背に掛けて………。
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三章 【邪竜アルドゥイン】 ■■■ 五章 【名】