====================
七章 【魂の劫火】
====================
―――邪竜と、竜人の闘いの火蓋が切って落とされる。
身に纏う死の熱気。
間近に対峙して真っ先に感じた其れは、やはり変わらない。
そして、ジードが気圧されずに立ち向かうのも、変わらない。
しかし――先程の地上戦と違うのは―――

「死ねい!」
鼻先で地面を掘り上げる様な動作にて、アルドゥインは自身の強固な鱗を叩き付けてくる。
『ぶぐぉ!?』
―――膂力。

ジードの肉体は、その強力な一撃によって弾き飛ばされる。
勢い良く後方に吹き飛ぶものの、ジードの精神はその一撃で打ちのめされは、しない。

真紅に光った双眸から、肉体から、すさまじい程の威圧感。
―――『神』。
改めて、感じる。
破壊を司る邪悪な神の、化身。
「ガァッ!!」

力の宿った『言葉』を並べず、ただ咆哮。
雄叫び。
それだけで、溢れ出る『死』の波動。
ジードはそれの直撃を免れるべく、飛翔し回避を試みる。

『ぬう……!』
残滓、とも言えるほどの微かな波動。
水面の気泡が広がるかのように膨らんだそれに僅かに触れただけでも悪寒が走り、確かな痛みが肉体を駆け巡った。
―――極まった声の力とは、既に『言葉』すら不要。

純粋に相手を殺す。
ただそれだけのもの。
……これだけの力を備え、なおかつ発揮せずにいたのは何故か、と言う部分をジードは常に考えていた。
それは恐らく、この形態になる事に何かしらの意味が有るからだろう、とも。
アルドゥインにとっては望ましくない『なにか』の。
そう思えばこそ―――

『ふん!』
死の力に圧倒はされず、己の『牙』を振るうジード。
「ぬるい!」

ジードの『牙』を牙で返す、アルドゥイン。
「砕けよ!」
顎に備わりし牙が、猛り狂気を孕んだ。
『なんの!』

上下から迫るアルドゥインの牙を、僅かに身を引き避けるジード。
なんと……膂力に於いても、竜人は邪竜と競り合えている。
――――闘志が、湧いてくる。
物事には、事象には、必ず其れによる対価、というものが存在するのが理だ。
『死』の力を解放した暁には、アルドゥイン自身にも何かしらの対価が必ず起こっている。
だからこそ、力を開放せずにいた。
なれば、傷を負わせ、血を流させ、鱗を剥ぎ、牙を折り、翼を捥げば……『其れ』は、起こるはずなのだ!
――ジードが地を一足、距離を取って『牙』を掲げると―――
――そう、『牙』が教えてくれる――
――『牙』と、ジードの『竜』の力が合わさり、どのような事が出来るのかを!
『燃え尽きろ!』

その『牙』から、業火の如き力が波のように流れてゆく!
「ぐ、お、おおっ!」

苦悶。
悲痛。
確かに聞こえた。
嘘偽りの無い、その声が。
再度、『牙』を振るって業炎を撒き散らす。
「この炎……!! おのれぇぇ!!」

波状に広がるその炎を受けながらも、雄々しいまでに歩を進めてくる。
「図に乗るなぁ!!」
怒号。
真紅の光が、見えた。
まずい、とジードの背に冷や汗が垂れると同時―――

『ぅごおぉぉッ!!』
『死』の波動!
至近距離で一身、まともに浴びせられた其れは、体内にも衝撃と振動を与えた。

放たれた波動による勢いで、ジードの肉体は空中へと吹き飛ぶ。
しかし。
その背に携えし翼が、身を翻させて宙へと留まらせてくれた。

波動による『痛み』が、身体中を駆け巡るも、折れぬ心。
全身に巨大な針でも指され、かつ貫かれたかのような。
痛烈としか言いようの無い感覚で、痺れるも。
『うおおぁぁぁぁッ!!』

「ぬぅああぁぁっ!!」
ぶつかりあう『牙』と牙。
繰り出される『死』の波動。

擦れ、鳴り響く『牙』と牙。
放たれる業炎。

ジードとアルドゥイン、この場に残響せしは、互いの唸りと雄叫び。
互いの持ちし全てを、ぶつけ合う。
意地?
執念?

使命感?
矜持?

土台にはそういった感情であり、理由であり、何かしら存在する。
―――のだが。

今この場に居る二人、いや二匹には些末な事なのかも知れない。
本能とも言える部分での鬩ぎ合いにまで達している。

全てを捨てて、人知を越えた力を得て、闘うもの。
名の意味を捨て、感情のままに、生のままに、闘うもの。

運命を司ると言われる『星霜の書』――
これに、この闘いは記されるのであろうか。
記されているのだろうか。
―――恐らくは、記されない。
記されていない。
運命に抗い、定めを覆そうとする事象など。

記される由も無い。
されども、二匹の竜は、闘う。
自身の持つ『価値』を捨て―――
互いの『意思』と『意志』で……!
激しい攻防の末、ジードが後方に飛び退き、宙に身を漂わせる。
邪竜。
竜人。
共に、息は上がっていた。

「ハァ……ハァ……おのれ……おのれぇ……!!」
力は拮抗。
最後の一押しとなる決め手。
互いに競り合う部分から、一歩出るための決定打。

それを―――お互いに、模索しているようだった。
牙と『牙』。
『死』と『劫火』。

隠し切れぬ『痛み』と『傷』。
純粋な、至極単純な視点で考えれば―――
体躯、体力で勝るアルドゥインのほうが圧倒的に有利。
敏捷性ではジードのほうが勝るが、それは決定打には成り難いもの。
―――だが。

「……『声』無き竜の分際で……邪竜たる……王たる我にっ!!」
アルドゥインが牙を剥き、ジードへと一直線に突撃する。
―――そう。

―――ジードは、竜となったのだ。
アルドゥインがその牙で引き裂かんとせし、その時。
―――ゆえに、『それ』も『持って』いた。

―――竜が備えし、『意味』を持つ『其れ』を。
ジードの異変に、気付いた。
―――そう。

『劫火ッ! 灰燼ッ!! 原初ッ!!!』

―――『声』の力を!
「その声……! よもや!?」
驚嘆の言葉は、呑まれて消えた。

降り注ぐ炎。
上がる火柱。
「ぐっ、がっ! が、あぁぁあああっ!!!」

全てを飲み込む、劫火。
それは全てを灰燼(かいじん)と成し。
そして、原初へと帰依する。

竜の力の宿った業炎。
その威力たるや、壮絶にして凄惨としか表せぬ。
―――ジードは『竜』と成りし時、己の内に眠るこの『言葉』を真っ先に聞いた。

それは、魂の声。
自身の中に眠る魂の声。
パーサーナックスが、野心、大君主、残酷、と名を冠するように。
オダハヴィーングが、雪、狩人、羽を冠するように。

ジードもまた、劫火、灰燼、原初、という名前と……『言葉』を、内なる魂より聞いていたのだ。
「きぃ、さぁ、まぁぁぁ!!!」

地獄の火炎の如き業火をその一身に浴びる、アルドゥイン。
鱗は焼け焦げ、翼膜も煤けていた。
「我は、我は竜の王にして、主なるぞっ!!」

気力と憤慨を綯い混ぜ、脚の膂力にして。
なお、アルドゥインは勇ましい程に歩を刻む。
「よもや、よもや……!! 邪竜たる我が!! 我がっ!!!」
業火を避けるのも能(あた)わぬその巨躯は、まるで捨鉢。

「ガァァァ!!!」
残忍な牙を振るうも、それは空を切るだけ。
大きな動作で、『死』の波動を放つ事すら忘れ。
狂気と凶暴さに任せた、その隙だらけの顔面に―――
『ふん!!』

激烈にして苛烈な『牙』が、食い込む!
「ぐがぁ、ああああ!!!」

その声は、雄叫びにあらず!
咆哮にもあらず!
悲鳴。
悲痛に喘ぐ、叫び声だった。
そしてそれに対しての慈悲なども一切無し。

更なる『牙』によって、火は燃え上がり、炎となり、業火と連なす。
「下郎、がぁぁぁぁ!!!!」

よもやその声に威厳は無し。
自身の肉体が、鱗が、翼が、焼け焦げる匂いに包まれ、完全に怒りに我を忘れていた。
「殺、す……!! 殺して、やるぞぉぉぉ!!!」

業炎によって焼かれる熱と、激痛。
――内包せし『死』の力を開放した代償。
――肉体から、『不死』の概念が失われる。
苦しみ、悶え、怒りに震え、唸る。

そして、それを静かに見下ろす者。
ジード。

携えし翼にて天高く舞い上がり、そして―――

その『牙』を―――

「ぐ、が……っ!!!」
焼け焦げ熔ける、その鱗に―――
頭部の中心に―――

「がああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
深々と―――突き刺した!!

決定的だった―――

その『牙』の一撃は―――

この闘いを、終わらせるには充分過ぎるほど――――

決定的だった……!

その『牙』を引き抜き、アルドゥインの頭部から離れる。

そして―――翼をはためかせ、静かに着地した。

―――ジードが、向き直る。
そこには、炎に包まれるアルドゥインの姿があった。
それはただの炎でも無い、ましてやジードの繰り出す業炎でもない。
そう。
竜種が絶命の際に引き起こす、あの浄化の白炎である。

「あり、えぬ……ありえぬ!! 我は、我は!! 邪竜、アルドゥインなるぞっ!!」
身に纏っていた『死』の力が、みるみる内に抜けていくのを感じる。
いや、正確には―――『死』の力が、立ち昇っていく姿。

「何故だ!! 何故、ドラゴンボーンでも無いものが!! 我を、滅ぼせるのだ!!」
その声は、天へと向けられたものだった。
まるで父祖である神、アカトシュに尋ねているかのような。

「お、おおぉぉぉ……!!」
闇色の鱗が、激しく軋んでいる。
身体の中から溢れる真紅の波動は、『死』の力。

外殻とも言える部分が、凄まじい音と共に弾け飛ぶ。
「……!! 今の貴様からは……!! 何故だっ!! ドラ、ゴン、ボーン、の……『声』が……聞こ、え……!!」
その肉体が、魂が、アルドゥインの全てが、熔けていっている。

――――破裂。

―――爆発。

―――悪意を孕んだその、全てが……消し飛んだ。

――轟音。
――断末魔。
――悪意の魂の、至大たる散華。

それらに彩られた、ソブンガルデ。
―――やがては、静寂を取り戻し。

そして――
その場に立つのは、ただ一人。
ジード。

―――彼の、勝利であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
=================================
六章 【竜達の叙事詩】 ■■■ 終章 【時代の暁】